小学生のころ、家の庭にある大きなビワの木に登って一時間でも二時間でも座っていることがよくありました。気に入りの枝があって、そこに座ると、とたんに心がいっぱいに開いていく解放感に満たされるのでした。流れる雲と、空と、木と、風と、鳥と、蟻と、話したり、笑ったり、ただ見つめていたその頃の私は、自分の内なる“自然“を思う存分に溢れさせていたのでしょう。
心の傷を癒すとは、誰もの内にあるこの混沌とした豊かな“自然”にいのちを吹き込んでいくことだと思うのです。何者かに成ろうと懸命に励んで知識や資格や肩書きという服をやみくもに着込んでいくのではなく、逆に着膨れしている服を一枚一枚脱いでいき、自分の生命力の源に触れることです。素足で地面をしっかり踏みしめ、大地の生命力を吸い上げることです。
MY TREE ペアレンツ・プログラム®は虐待に至ってしまった親の回復プログラムで、過去20年間の実践で1302人の虐待的言動をストップした修了生を送り出してきました。MY TREE ジュニアは、性暴力をした子ども・ティーンズの回復のプログラムで2017年に実践を開始しました。どちらも加害行動からの回復のプログラムです。
親の虐待行動であれ、子ども・ティーンズの性暴力行動であれ、その加害性は、攻撃性の裏に沈殿している人としての尊厳を蹂躙され続けた過去の痛みと悲しみをていねいにケアしていくことで消えていきます。
虐待した親たち、性加害をする子どもたちは、変わることができます。人間は変わることができるのです。ただし変わりたいとの強い願いを持つ限りにおいて。
木は世界各地の文化でいのちのシンボルとされてきました。日本もしかりです。MY TREE プログラムはシンボルとたとえ話を多用します。一人の修了生がこんな手紙をくれました。
「わたしの木はあれからも根をはり続けています。相変わらず嵐の時はあるけれど、でもそれで折れてしまわず、しなることができるようになった自分がいます」
自分の中に生まれながらにあるいのちの輝きと生きる力を取り戻すことをエンパワメントと言います。この修了生はきっとこれからもずっと自分という木の持つ強さを発揮しながら生きていくことでしょう。
私は1980年代にカリフォルニア州社会福祉局子ども虐待防止室で、90年代はカリフォルニア大学で、「エンパワメントと人権」をベースにして暴力に対応するいくつものプログラム開発に従事しました。その中には子どもへの暴力防止プログラムや、里親への研修プログラムや、セクハラ、パワハラ防止プログラムがありました。
日本で2000年に制定された児童虐待防止法の立法過程では、国会で参考人意見を述べたり、国会議員研修を何度かしました。それらの中で子供の虐待問題の解決に不可欠なのは、虐待に至ってしまった親に裁判所が回復プログラム受講を命ずる法制度であることを主張しましたが、法制化には至りませんでした。そこで翌年、その受け皿としてのプログラムの開発と実施に取り組みました。
当時、私は子ども同士の性暴力の加害者、被害者への回復ケアのMY TREE ジュニア・プログラムを開発している最中でしたが、それは一旦横に置いて、親の回復、MY TREE ペアレンツ・プログラム®に全力投球することになりました。以来21年間途切れることなく、このプログラムを少しずつ各地に広げる活動を続けてきました。
一方で、児童養護施設などで治癒的なヨーガと瞑想を教えて8年になります。週に4〜5日、平日の大半を施設で子どもたちと関わるようになって、施設内で起きてしまう子ども同士の性暴力の現実を何度も目にするようになりました。
性被害を受けた子どもへのケアはともかく、性加害の子ども・ティーンズの回復のための取り組みは十分ではなく、早急に対応が必要であることをあらためて思い知らされました。そこで、20年前、MY TREE ペアレンツ・プログラム®の実施を優先させるために棚上げしていたMY TREE ジュニア・プログラムを完成させ、2017年より実施を開始しました。
MY TREE ジュニアくすのきプログラムの修了生第一号は、児童養護施設で暮らす8歳の少年。プログラムの中でする瞑想なんてくだらないと言っていたのに、毎日5分間の瞑想が彼の多動性をすっかり変えてくれました。集中力が高まりテストの点が俄然上がりました。そして何よりも「自分に正直」というMY TREE の鉄則が身についたようです。
MY TREE プログラムでは、プログラムの最初と最後に木の絵を描くのですが、 彼が描いた絵を紹介することで、私のご挨拶を終えましょう。